アルプスをつなぐ街で~八木たくまの伊那日記

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11日。

今日は11日。東日本大震災から2年と8か月が過ぎました。

僕の店も正式オープンからちょうど1か月。
まだ2回目の「11日」ですが、この日に必ず来てくれる方々がおられます。

「東北を忘れないために、この日は東北に縁のある店で飲むようにしている」と。

被災した蔵のお酒を飲みながら、東北のことを語り合いながら。
ボランティアで現地にも行かれたそうで、飲みながら、涙をこぼしながら、いろんなことをお話ししました。僕も震災翌日から被災地を歩いた当時のことを思い出し、泣けてきて…

今月も来ていただけるかな…と思って用意しておいた、被災蔵のとっておきのお酒を飲んでいただきました。
その中で特に思い入れがあるのが、気仙沼の「船尾灯(ともしび)」。

船尾灯は、震災直後に取材させてもらったお酒です。

飲むたびに、東北を想う。



店が終わった帰り、今年初めて車の窓ガラスが凍りついていました。

被災地のみなさま、どうかご自愛ください。


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●産経新聞2011年4月14日朝刊●

『大津波が襲った宮城県気仙沼市の老舗酒蔵「角星(かくぼし)」で、からくも被害を免れた熟成タンクの日本酒が完成した。「これからもこの地で生きる人たちの希望の光になりたい」。斎藤嘉一郎社長(53)は、復興に向けた第一歩としてこの酒の出荷を決め、酒に「船尾灯(ともしび)」と名付けた。(八木択真)

斎藤さんが生まれ育った港町は、あの日を境に一変した。押し流された貯蔵タンクから漏れた重油で、気仙沼湾は火に包まれ、今も焼けこげた漁船が波に揺れる。港近くの創業地に建つ築80年の蔵づくりの販売所も流され、かろうじて原形をとどめた2階部分だけが、大量のがれきとともに近くに残されていた。

「『天災だ』とあきらめるしかないのは百も承知ですが…。今でも夢を見てるような気がする」。市内では約700人が遺体で発見され、1400人以上が行方不明のままだ。

港から数百メートル離れた同社の醸造所は、寸前まで津波が迫ったが、仕込みタンクの中にあった熟成中のもろみ6千リットルは、奇跡的に無事だった。ただ、繊細な温度管理に必要な電気が途絶え、廃棄処分も覚悟した。だが街が落ちつきを取り戻すにつれて、取引先から出荷を求める声が上がった。

「やれるだけやってみよう」。斎藤さんは建設現場用の発電機を調達し、地震の被害を免れた従業員とともに温度管理を再開。厳しい冷え込みが逆に幸いし、なんとか品質を保った。予定より10日遅れで絞った酒はやや辛口になったが、予想以上の出来だった。

斎藤さんは東京で醸造技術を学んだ大学時代を除き、気仙沼を離れたことがない。約100年 前に曽祖父が創業した蔵を継ぎ、恵まれた海の幸に合う酒を、地元住民のために造り続けてきた。街が苦境に立つ今だからこそ、苦労して造ったこの酒への思い は強い。「これからも、ここで蔵を続けていく礎の酒にしたい。下を向いてばかりはいられない」と力を込める。

酒はできたものの、街の主力の水産加工や造船業が壊滅した気仙沼は、先行きが見えない。仕事や住居を求め、街を出ていく被災者も多い。いったいどれだけの人が街にとどまるのか、不安は募るばかりだ。

斎藤さんは今、電気が途絶えたあの日の夜を思い出す。暗闇の中、そこかしこで動く懐中電灯の光。そこに、絶望と恐怖の中で生き抜く人々のかすかな希望を感じた。「船尾灯」の名には、あの日見た希望の光が重ねられている。

斎藤さんは語る。「ここで生きていくことを選んだ人に、飲んで『明日に向かおう』と思ってもらえたら」。再出発の第一歩を刻む酒は、月末の出荷を目指し、近く瓶詰作業が始まる。』
by yagitakuma | 2013-11-11 23:58 | 伊那まち はしば | Comments(0)