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アルプスをつなぐ街から~八木たくま日記

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八木、2時間だけパパになる。帰郷をあきらめるのか…震災被災家族との再会。

先日大阪に行った際、2時間だけ、パパになりました。
どうしても会いたかった人たち。
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堺市の市営住宅に住む鈴木さん一家。
ダンナさんは仕事で留守でしたが。
3年ぶりの再会で、もみくちゃに。

イケない関係じゃないですよ。隠し子でもない(笑)
鈴木さん一家との出会いは、忘れられないものでした。

約5年前の3月15日。東日本大震災から5日目でした。
僕は、宮城県女川町にいました。
産経新聞大阪社会部からの応援取材班として現地入りして4日目。
約2000人が身を寄せていた町総合体育館で、避難所を取材するために被災者の方々とともに一晩を過ごしました。
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写真は、当時4歳だった次女のレイカちゃんと、3歳だった三女のレイラちゃん。
まだ食料もなく、菜っ葉だけの味噌汁を大切そうにすする姿にカメラを向け、ご両親に話を聞きました。すると、母親の真由美さんの妹が僕の出身の堺市にいることが判明。話が盛り上がり、すっかり仲良くなりました。

保育園から避難する際に津波を見てしまった子供たちの凍り付いた表情。泥だらけの足元。
再会の歓喜と、悲しみの対面とが覆う体育館。

僕は後ろ髪をひかれる思いでいったん大阪に戻りましたが、10日ほどたって「堺市に避難することに決めた」と連絡がありました。

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布団だけの引っ越し。子供たちに笑顔が戻りました。
ダンナの武さんも、「仕事と家のあてができたらすぐに女川に戻る」と、故郷への思いを口にしていました。
この当時は…。

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翌4月6日。長女、レイナちゃんが堺市の小学校に入学。勉強机や文房具など、見ず知らずの方々の支援がたくさんあったそうです。

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6月。
はじめて女川へ。何もなくなっている光景に衝撃を受けながら、友人や子供たちの同級生との再会で、「自分たちは、やっぱり女川なんだな」と感じていました。

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7月。
6月の帰郷時に津波で流された自宅跡で偶然見つけたデジカメのデータが、奇跡的に復活!!特に、女川の同級生たちとの思い出の写真がすべて流されたレイナがすごく喜んで…
このとき、「お金をためて、1年で戻る」という目標ができていました。

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震災から1年後の3月。
長女、レイナが女川へ。
震災で開催できなかった保育園の卒園式が1年遅れで開かれました。

家族みんなの交通費はとても出せず、「空港まで送り迎えをしてレイナだけで行く」という選択になった鈴木家。それが無理なら、卒園式への出席はあきらめるしかない。
なんとしても同級生に会いたいレイナ。

見かねた僕は会社に相談し、取材にかこつけて女川まで同伴させてもらえることに。
なかなか楽しい飛行機での2人旅でした。
先生に再会してはにかむレイナの表情は、震災以降最高の笑顔でした。

僕の鈴木家の記事は、このレイナの卒園式が最後。
次の3月を記者として迎えることなく、僕は退職して伊那に戻りました。

今回、3年ぶりの再会でした。
すごく元気そうで、ほっとひと安心。
みんなすっかり大阪弁になってました。

レイナは「保育士になる」という夢ができました。きっと幼いきょうだいたちの面倒を見続けてきたからだろうな。
次女のレイカは、「ダンサーになりたい」と、毎日ダンス教室に通っています。先生も認める才能の持ち主らしく、「大きくなったらロスに行く」と宣言しておりました。僕が「英語の勉強せなあかんなー」というと、「英語ってなに??」みたいな顔をしてましたが(笑)

元気そうだけど、震災の記憶がはっきりと残っているレイナとレイカは、今でも震災の報道が増える時期になるとトイレにこもってしまうそうです。

そして、「必ず女川に帰る」との誓い。
故郷の現実は、まだ家もなく仕事もない。
女川を離れた友人たちも多いそうです。
レイナたちきょうだいは堺での友人が増えて…

もう、「女川に戻る」という選択肢は現実的ではなくなっているのかもしれない。
5年もたつんですもんね。

とはいえ、みんな元気ならよかよか!!
「ちょくちょく記事になっていたあの家族、どうしてるかな」と思ってくださっていた産経新聞の読者がおられるでしょうか。
みんな元気ですよー。

武ちゃん、また会おうぜ!!
by yagitakuma | 2016-01-25 19:45 | 記者時代 | Comments(0)