人気ブログランキング | 話題のタグを見る

アルプスをつなぐ街から~八木たくま日記

yagitakuma.exblog.jp
ブログトップ

愛され、生きた。ようやく埋まった思い出の空白。八木家が犯罪被害者に⑥

通り魔のようなひき逃げ事件の犠牲となった僕の姉、八木伊世。
姉の職場だったスポニチの今日の紙面の記者コラムに、姉へのメッセージが。
愛され、生きた。ようやく埋まった思い出の空白。八木家が犯罪被害者に⑥_c0283938_1174265.jpg

昨日、家族を代表してスポニチ編集局にご挨拶にうかがいました。
職場の皆さんには、本当に支えていただきました。お見舞いに来て励ましてくださったり、葬儀の際も様々なお気遣いをいただきました。

姉は、本当に大切にしてもらってたようです。

「仕事ができるだけじゃない。気遣いがすごい」
「お茶目で、天然だけど、ややこしい仕事も全部任せられる」
「控えめだけど、芯が強い」
「八木さんを忘れたくない」
……。

お世辞ではなく、アルバイトの方々をまとめてかなり重要な役割を担っていたようです。
いろんなエピソードを教えてもらい、生前の姉の輪郭が浮かび上がってきました。

ずっと感じていた「なぜアルバイトだったのか」という疑問も、ようやく理解できました。

姉は、八木家のスターでした。
小中学校時代は、勉強も運動も、何をやっても一番で、高校卒業後は京都府立大の農学部へ。同じ農学部卒でもドロップアウト組で卒論すら書かずに出た僕とは違い、大学院まで出て地元の食品会社に就職。でも、10年勤めて退社。そこまではオカンから経緯を聞いていました。
その後猛烈に就職活動に取り組んでいましたが、なぜ安定した職をなげうったのか、次のステージとして何を目指していたのかについては、家族は誰も知りませんでした。

姉は、報道の現場、記者を目指していたそうです。
幼なじみの友人にだけ、語っていた夢でした。


八木家は、父も僕も記者でした。
その友人が、「お父さんの影響?」と聞くと、「それもちょっとあるし、弟もやってるから。昔からなりたいと思ってた」と。

まったく知りませんでした。弟に相談するようなタイプじゃないのは、重々わかってましたが…。上の姉によると、よく産経の紙面から僕が書いた記事を真っ先に見つけて、オカンに教えてあげてたそうです。
うーん…。
……。

「ダメ元でも、チャレンジしてみたい」と語っていたそうですが、猛烈な就活も厳しい結果だったようで、その後スポニチの編集補助スタッフに応募。個性派ぞろいのレース部の中で、心優しい性格と適格な仕事ぶり、アルバイトをまとめるリーダーとして、皆さんに可愛がってもらっていたようです。

幼いころから愚痴や悪口を言わず、断らない性格。部数が伸び悩む新聞業界で、人数が減って大変な中、上司によると「率先してしんどい勤務をこなしてくれた」。これだけ大切にしてもらえるほど頑張ったのは、本人の性格もあると思います。でも、生前に幼なじみの友人に話していた言葉で、なぜそこまで頑張ったのかがわかりました。

「記者になりたかったから、その現場にたずさわってるのがすごく楽しい」と。

上司の方にじっくりお話を聞かせてもらい、この春からはまた就活を再開する予定だったこともわかりました。事件は、その矢先でした。
愛され、生きた。ようやく埋まった思い出の空白。八木家が犯罪被害者に⑥_c0283938_1181639.jpg

職場の方にいただいた写真。左端の後ろが、姉です。楽しそうだ。

いろんな方から、哀悼のメッセージとともに写真をたくさん送っていただきました。
どれもこれも、控えめな場所で、ほんわかと笑ってる。

僕が実家を離れて以降、僕の中で空白だった姉の人生が、ようやく形を帯びてきました。
友人や職場の方々から話を聞けば聞くほど、無念さがこみ上げてくる。でも、いろんな人たちに大切にしていただいて、姉は本当に幸せだったんだな、とも思います。

本人に代わり、心から感謝申し上げます。
そして、弟の思い出の空白を埋めるためにご協力いただき、本当にありがとうございました。


今日、伊那に戻ってきました。
ひと段落です。
月末に始まる3月議会の準備や、遅れてしまっているその他諸々の仕事のために、明日からバリバリ働きます!!!
by yagitakuma | 2016-02-20 23:56 | 八木家が犯罪被害者に | Comments(0)