アルプスをつなぐ街で~八木たくまの伊那日記

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カテゴリ:自己紹介( 3 )

次からは、こう問い返そう。「なぜ議員になったの?」という問いへの答えと、真の地方創生に必要なこと。

最近、「なぜ議員になったんですか?」と聞かれることが立て続けにありました。
多いときは、同じ人に数時間で3回も(酔っぱらったお客さんでしたが笑)。

こんなことを聞かれる機会が多いってことは、やっぱり政治家って“珍種”なんでしょうね。会う人に、「なんでその仕事をやろうと思ったの?」といちいち聞かないですもんね。

その「なぜ?」を、一度整理してみます。
いろんな思いがありましたが、あらためてまとめるとこうなるのかな。

新聞記者時代、様々な社会課題と向き合ってきました。数えきれない喜怒哀楽に触れ、あるべき社会の形について考え続けてきました。時には弱い立場の声を届け、時には権力を監視する。世の中は、素晴らしいけれど、時に理不尽です。

そんな自分が、愛する伊那への移住を決めたとき、政治や行政に対して無関心でいられるわけがありません。全国的に進む地方の衰退を目の当たりにし、一方で“名誉職”のような議員に占められた地方議会の多くが機能していない現状も、知っていました。

ならば、ずっと社会と向き合ってきた自分が、当事者として関わるしかない。自分がやらなければ、誰ができるのか。
そんな思いでした。

政治家との関わりもたくさんありましたが、政策の議論もできない議員を数多く見てきました。そのくせに偉そうで、そんな政治家が大嫌いでした。
そんな大嫌いだった立場に今、自分が立っている。人生って不思議なもんですね。

もう一点。
記者時代はそのほとんどが事件担当でしたが、事件がないときは、若い世代による街づくりの現場によく足を運んでいました。
それが、みんな楽しそうなんですよね。
「取材する立場」ではなく、「いつかは自分が街づくりに関わりたい」という思いが膨らんでいきました。
そこで思ったんです。「議員って、その近道じゃないか」と。
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第二の人生の場所として、大学とフリーター時代の7年間を過ごした伊那に戻ることができたのは、本当によかった。伊那は、可能性にあふれています。誰に対しても、胸を張って「伊那はいいところだ!一緒に楽しいことをやろうぜ!」と言える。

東日本大震災を契機に地方への注目が高まり、その後「地方創生」が叫ばれるようになって、「都会至上主義」的な雰囲気は逆転しつつあると感じます。
一方で、国主導の地方創生に早くも限界が見え始めています。

いま、地方に必要なのは、地方ならではのビジネスを起こして稼ぎ、新たな仕事の場を増やすことです。これは、ビジネスに取り組んだことのない行政組織ではどうにもならない。真の地方創生は、「行政に頼らない民間によるビジネスの創出」が鍵になっています。

民間の立場としても、やるべきことは山ほどある。
時に苦しくもありますが、やりがいは大きい。

伊那には地域のことを考えながら、チャレンジする民間の方々がたくさんおられます。これからどんどんと伸びていくでしょう。

願うのは、議会にも民間感覚のある若い世代が増えてほしい。

次から、「なぜ議員になったの?」と聞かれたら、こう問い返すようにしてみます。

「あなたは、無関心でいられるのですか?人任せでいいのですか??」と。
by yagitakuma | 2017-01-09 13:01 | 自己紹介 | Comments(0)

聴く側から聴かれる側に

仲良くなった信濃毎日新聞の記者さんが、僕のことを取材に来てくれました。

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地方版で60行程度の予定だったそうですが、載ってみれば社会面で大きく!!
思いをきちんと伝えていただき、ありがとうございました。

「自動車のサークル活動」と表現してくれてるけど、ただの迷惑な峠の走り屋だったんですが…(ごめんなさい)
いろんな友人からツッコミがきた(笑)
包み隠さず話したんですが、まぁ新聞には書けないですよね。

伊那ケーブルテレビにいる大学の同級生も取材に来てくれて、同じ日のニュースで流してくれました。

お話しさせてもらった街への思い、ずっと忘れずにいよう。
by yagitakuma | 2013-10-11 10:56 | 自己紹介 | Comments(0)

これまでの34年間

まずは自己紹介を。

昭和53年12月、大阪府堺市生まれ。
府立泉陽高校卒。卒業生には沢口靖子さん、与謝野晶子(旧女学校時代)、橋田壽賀子さんがおられます。
平成9年に信州大学農学部に入学。
平成16年、産経新聞社に入社。
以降姫路支局を皮切りに、鳥取支局(計約4年間)、大阪社会部(4年間)、和歌山支局(約1年半)。平成25年3月末に退社予定です。現在有給中ですスミマセン。。

先に記者時代を振り返ると…
ほとんどがサツ回り(事件担当)でした。初任地の姫路周辺では当時、なぜか大きな事件(人が亡くなるような)が頻繁にありました。相生市で若い女性2人のバラバラ殺人があったり、赤穂市の職員が同じ職場の妻を殺したり、たつの市で街の有力者が殺されたり、姫路市で野宿生活の男性が少年らの火炎瓶の犠牲になったり…。

きっと地元住民や関係者以外には忘れ去られているでしょう。昨日のことのように思い出す。

事件があるたびに現場周辺を聞き込みで回り、警察幹部や刑事さんへの夜討ち朝駆け…。まだヒヨッコだったので、当時の仕事が世のためになったかどうかは今でもわからない。かつては花形のように思われていた事件取材でしたが、決して胸を張れるものばかりではありません。遺族の心の傷に塩を塗るようなこともある。世に出るのは上っ面だけで本当のことが記事にできないこともある。怒鳴られたりひんしゅくを買ったり…
それでも、時にわけもわからず走り回り、時にグッとこらえて清濁併せのむ。それがブンヤの基本です。確実に現在まで続く自分の基礎になってます。 

鳥取時代は事件もなく、のんびりとしたものでした。でも何もなさ過ぎて何をしてよいかわからなくなった時期でもありました。印象に残っているのは自民党が大敗した参院選くらいでしょうか(石破さんがとても魅力的だった)。
ちょうど経営合理化のあおりで支局の人員が減らされた時期でもあり、半年ほどで大阪社会部に異動になりました。

大阪時代は本当にいろんな現場を経験しました。長くなるのでまたボチボチと。備忘録として。

あ、支局時代にひとつだけ自慢できることが。
僕の記事で、アスファルトから顔を出したダイコンに「ど根性大根」という名が付きました。名付け親です。その後の「ど根性植物」ブームは今思い出しても笑える。
しかもロイターの駐日記者が「ザ・ラディッシュ・オブ・ファイティングスピリット 『DOKONJYO』」と世界に配信してくれました!
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当時のmyスクラップ。なつかしい…
路上に寝転がって写真を撮ったことを思い出しました。 
by yagitakuma | 2013-03-06 12:28 | 自己紹介 | Comments(0)