アルプスをつなぐ街で~八木たくまの伊那日記

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心からの感謝と後悔と、少しの笑いと。八木家が犯罪被害者に④

昨日、僕の姉、八木伊世が旅立ちました。

気遣い、励ましてくださった皆様、本当に支えになりました。言葉にならないほど感謝しています。僕たち家族に最後の時間を与えてくれた医師とスタッフの皆様、ありがとうございました。

たとえ何か月かかっても、朗報をお届けできると信じたかった。伊世も頑張ってくれたと思います。苦しかったと思います。無念だと思います。

「容体急変」の連絡は、午後3時。直後に予定していた街づくりの打合せをキャンセルし、大阪へと急ぎました。
集中治療室に飛び込むと、伊世がいた部屋は空っぽ。

「あれ、八木伊世は…」
「ケンシに行かれました」
「検診か。どこです??」
「検死です。連絡なかったですか?」


間に合いませんでした。
高速を飛ばす僕を気遣って、連絡を控えてくれたようです。
病院の地下出入口へと走り、警察車両に乗せられる直前の伊世に、かろうじて対面できました。
まだ温かかった。

警察署で引き取りの手続きをし、葬儀場を手配し、伊世の衣服や棺に納める品々を実家に取りに行き、メモリアルホールへ。

オカンを自宅で休ませ、眠る伊世の前で、父と長姉と朝まで語り合いました。

「男は社会に尽くせばいい」が口癖で、家のことには関心が薄かった父。
キュートだけど、人の心を読むことが極端に苦手な母(たぶんADHDです)。
そんな八木家。
両親を誇りに思い、感謝しながらも、僕たち3人きょうだいは苦労もしました。

父の単身赴任、長姉と僕の大学進学で、約20年前から一家は3カ所に分かれて暮らしてきました。それ以降、家族で集まる機会はほとんどありませんでした。

泣きながら伊世の思い出話をした昨晩、父の僕たちへの思いを聞き、僕たちの親への思いもぶつけました。誤解もあったし、会わずとも想ってくれていたことも実感できました。こんな機会を、伊世が生きているうちに作るべきだった。それだけが、悔やまれてなりません。

でも、ずっと集う機会を持つことができなかった一家が今回、こんな形ではあるけど集まり、濃密な時間を過ごせたこと。生還へのかすかな希望を胸に、「長期戦になっても、頑張りぬこう!!!」と一致団結したあの瞬間の記憶は、僕の心の支えとして一生残ると思います。

伊世の旅立ちは、家族だけで見送ることにしました。あの美しかった伊世の顔。亡骸となった今はあまりにも痛々しく、皆さんに会っていただくのが伊世も辛かろう、という結論になりました。伊世を大切に思ってくれた方々に最後の別れの時間を作ることができず、申し訳ありません。

辛い中で、少しの笑いもありました。

深夜の警察署の一室で葬儀場に電話し、「八木伊世」の名前を伝える父。

「漢字は、八に木で、イタリアの伊、「君が代」の代で
「ちゃうやろー!!」
「世界の世!!!」
「自分がつけた名前ちゃうんかい!!!」


総ツッコミが入る、大阪の一家。
デコボコした八木家らしいなーと、なんだか救われる記憶になりそうです。

本当に、ありがとうございました。
これから捜査が進み、八木家の闘いは次の段階に移ります。
また、ご報告します。
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by yagitakuma | 2016-02-17 14:25 | 八木家が犯罪被害者に | Comments(0)